2009年04月-09月 TBS・MBS系
原作:望月淳(「月刊Gファンタジー」)
監督:加戸誉夫
シリーズ構成:関島眞頼
キャラクターデザイン:小林千鶴、山岡信一
美術監督:わたなべけいと
撮影監督:工藤友紀
音響監督:高寺たけし
音楽:梶浦由記
音楽制作:flying DOG
アニメーション制作:XEBEC2クールやっておいて、その終わり方は微妙すぎないか
原作Gファンタジーで前期放送していた『黒執事』は序盤からオリジナルラストを想定して作り込んでいましたし、話としては完結したにもかかわらず面白さと人気から2期製作が決定しました。
オリジナルラストでも、2期を思わせる終わり方でもなく、中途半端な最終回。
途中までは面白かったのにラストが残念。
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読了―
自分が相手に対して不信感を持っている時、劣等感を持っている時
相手の短所ばかりが見えてしまう時、
自分は悪くない 相手の所為だ と思えてしまう時、
自分だけが特別不幸な思いをしているわけではないという事
相手も自分に対して"そう"思える条件を満たしているという事。
思春期の青少年にありがちな、否、遍く人間が持ちえる迷妄な感情。
例えば、他人に対して「気が利かない」「けちだ」「かまってくれない」等という感情を抱いたとき
自分はその人と同じような行動をとっていないと言い切れるだろうか。
自分も同じような場面を作り上げたことが過去にもあるはずである。
そして同じように「気が利かない」「けちだ」「かまってくれない」と思われていたに違いない。
重要なのはそれに気づけるか否かである。
気づけない人間はいつまでも自分が優れていて他人は自分に対して害を与えてばかりだと思い込むことだろう。
この作品を読んで作中の登場人物達を愚かだと履き捨ててしまう人間程、
自身に対する特別扱いに気づいてはいないはずである。
気づけ。
不幸自慢、最近は特にいい年した大人程そういった傾向にあるように私は思う。
少女は
人の死を身近に感じることで、以前の死から遠い世界より
"高い"世界に上れるのだと思い込む。
蓋し身近な死を体験すれば、ただ人が死ぬだけの小説や映画で涙を流すことは無くなるだろう。
だが、それがなんだというのだろう。
私も、あの類のモノに「感動した」と軽々しく言える人間というのは
死を自分とは全く関係ないものだと考え、
自分よりも弱い人間に対し同情し蔑む意識を持っている人間なのだろうと思う。
しかし、自分には独特の死に対する価値観があり、
それはある事柄によって得たものなのだと俯瞰するような人間が優れているとは思わない。
安易な自己陶酔である。
"終章"でもそれが読み取れる。
「ここでは、いったい誰に合わせればいいんだろう」(p.64)
作中では"迫害"と称して所謂いじめを示唆する言葉がよく出てくる。
実際に"迫害"が行われている場面などは無いのだが、
敦子が"迫害"を恐れて周りに合わせようとする描写は
中高生、特に女子中高生の"集団行動への依存""同調行動"をよく表している。
夏を終え、過去のしがらみから解放された2人ですら、
最後には紫織への"迫害"に加担する形となっている。
紫織が三条・星羅等の人間と関わっていた事や死を悟ったなどと誇示していた事など
2人が紫織を嫌う理由はあっても助ける義理など無い。
しかし、本当にそれでよかったのだろうか。
「死は究極の罰ではない。それなら、死とは何だ。」(p.102)
人の死、この作品のテーマの一つである。
そもそも、互いに想い合っているにも関わらず擦違う事となってしまった2人が
「人の死ぬ瞬間を見たい」
と思うようになったのは友人の自殺を自慢げに語る紫織を見てから。
人の死に触れることで何かが得られるのではと、根拠も理由もなく、
2人は夏休みを使ってそれぞれの場所へ行く。
そこに見られるのは死への憧れなどではなく、単純に10代のフットワークの軽さ
行動の単純さ、ただそれのみで、「死とは何なのか」の答えなど結局最後まで明かされない。
明かす必要も無い。2人も夏が明ければ自分たちが人の死を見たいなどと躍起になっていた事など忘れ
修学旅行に思いを馳せている。
最後まで人の死というくだらないものに拘泥する自分に恍惚とした人間がどうなったか
"遺書"を見れば明らかだ。
本人にとっては大事なのだろうが、呼んでいる側からすれば本当にどうでもいい無意味な事でしかない。
全ては生きている人間の為にしかない。
追記―
この作品を読んで
単純に文章が陳腐だとかそういった感想しかでない人間は、
批判することでしか主張を確立できないような中二病的な人間ではないか。
確かに私も最初は読みにくい文章に戸惑ったが、読み手がちゃんと文章を読んでいれば
近年文学界を跋扈する安易な恋愛小説などとは違って陳腐に見える文章の奥に一定量の作者の知性が感じられるはずである。
最初から最後まで全ての登場人物がつながりを持っている点など、作者が物語を作るにあたって推敲を重ねているのも見て取れる。
人の短所しか述べられない人間など、作中前半部の相手を羨む事しかできなかった少女と同じである。
読んでいてなぜ気づかないのか。
気づけ。
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◆◆読書メーター◆◆
【アニメ版】魍魎の匣 全13話
【文庫版】鉄鼠の檻
【文庫版】文庫版『絡新婦の理』



京極夏彦 湊かなえ 姑獲鳥の夏 魍魎の匣 狂骨の夢 鉄鼠の檻 絡新婦の理
第98話「復活!輝きの舞姫!」監督:安田賢司
シリーズ構成:大野木寛
キャラクターデザイン:崔ふみひで
音楽:Di'LL
アニメーション制作:サテライト
◆◆
脚本:根元歳三
絵コンテ:登坂晋
演出:室谷靖
作画監督:いとうまりこ2週送れですが・・・この感動を伝えたかったのですw
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しゅごキャラ!もついに放送回数3桁の大台に
4キャラそろってのキャラなりは想像してたけど、思ってたよりも地味だったなぁw
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しゅごキャラ!どきっ 第98話は最高に感動した
ヤマトマイヒメの時になでしこに戻るのは可愛いけど その場に居合わせたらフツー引くと思う
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さりげなく 空海×歌唄 も水面下で起動してますよね
私は空海も歌唄も好きなんで、GJ
過去記事検索で、「ARIA」と入力してもARIAの記事が一つも無かった・・・・
私の好きな漫画と言えば、『ひだまりスケッチ』『ARIA』『ちょこっとヒメ』なのですが
ARIAに関しては漫画もアニメも他人(ひと)より遅く手を出していたんだなぁ とつくづく思う
ARIAコミックスでよくあった「応募者全員サービス」も一つも持っていませんしね
栞とか、欲しかったなぁ・・
して、
天野こずえ 待望の新作『あまんちゅ!』やはり、
海!空!猫!ですねー
「ちゃ顧問」はちっちゃいアリア社長みたいでかわいいな~
先に完成している主人公があって、それに周りの人間が惹かれていくというスタイルはARIAっぽいですね
けど、ぴかりが口下手を自称しているシーンもあるので、ARIAの水無灯里よりも読者感情移入のしやすい人間的な面が多く見られるのかも?
だけど、私個人としてはあんまり人間的な面ってのは見たくなかったりします
ARIA終盤で灯里が寂しくなって涙を流してしまう場面とか、アリシアさんが態と灯里をプリマにするのを遅くした事とか、完璧な偶像としてのキャラクターが崩れるのが怖い
灯里が泣くところとか、アリシアさんが謝るところとか
みたくなかったなぁ
ARIAという作品は特に憧憬としての作品で 平たく言えば現実逃避
読み終わったあとの空虚感なんかが酷いです (あくまで私個人の感覚ですが
それに対してあまんちゅ!は舞台も現在っぽいので現実的な感じに仕上げようとしてる
意図が見られます ARIAよりはね
幻想的なARIAな世界から出て現実に引き戻される ではなく
幻想的なあまんちゅ!の世界を現実にもってこれる
ができるといいなと思います。
1ねん1くみ あしゅ



天野こずえ ARIA あまんちゅ! あまんちゅ!

おひさしぶりでございました・・・
世間でいう「合宿」というやつで、ブログからご無沙汰してました。
それでなくても最近、というかここ1,2年、サボリがちなので気を引き締めようと思います。ございました。
しゅごキャラ!!どきっ 第98話、第99話はいい話だったので記事にしようと思ってます
あとセラフィムコールね